2022/2/19(土)

こんにちは!

カウンセラーリコラです。


みなさまは母親のことをどんなふうに呼んでいますか?

「おかあさん」「おかん」「ママ」「〇〇ちゃん」(お名前で)など、地域によって、関係性によって、さまざまかと思います。

わたくしは「ママ」と呼んでいました。


その「ママ」も高齢になり、自力で食事が取れなくなり、特養を卒業して、つい先日療養型病院に入院いたしました。

もう会話も出来ない状態で、すやすやと寝ているだけの姿を見ていると様々な思いがこみ上げてきました。


ここに来るまでの数年間、病院や介護サービス、老健、特養等お世話になる場所が変わる度に、担当のケースワーカーさんとの面談がありました。

どこでも必ず聞かれることは

「どんなお母さんでしたか?」

「お母さんの好きなことはなんでしたか?」

など、いろいろなことをご質問なさいます。


その度に母娘関係の葛藤と向き合うことになるので、母親に振り回された自分の半生を振り返りながら、涙ながらにケースワーカーさんに話を聞いて頂いたことも一度や二度ではありませんでした。


年老いた母の介護問題と、過去の癒されていない子どものころのココロの傷が混在する状況は非常にしんどいものがありました。


自分の専門分野として知識としてはわかっているつもりでも、ココロの問題や葛藤は簡単に解消することはありません。

一人で乗り越えることは無理でしたので、信頼できるカウンセラーのもとで、親子関係を振り返り、時間をかけて自分を整えてまいりましたが、皮肉なことに、落ち着いた頃に母はもう会話の出来ない状況になりました。


以前、特養に入る前に、ケアマネさんから「おかあさんのお部屋にあるお人形を施設に持って行ったらどうかしら?」とアドバイスを頂いて、持たせたのがこちらのお人形。

「文化人形」といいます。

母は、子ども時代に、このお人形が欲しくても買ってもらえなくて、晩年復刻版を購入して大事に飾っておりました。


親子関係がしんどい時は「人の気も知らないで!」とよく呟いたものです。

自分のことを一番知っているのは自分です。

親は自分のことを知っているようですべてを知りません。

それは、同時に母親の気持ちについて、私は母のすべてを理解していないし、すべてを知らなかったな・・・・と今になって思うのです。


所詮、自分以外のことは、たとえ親子であっても、すべてを知ることは無理なのです。


先日の療養型の病院での面談の時にお人形のエピソードをお伝えして、許可を頂き、母は今、お人形と一緒に病院で過ごしています。

本人はもうあまりわかっていないかもしれないけれど、わたくしが出来ることも少なくて、これくらいしか思い浮かびません。


子育ても介護も正解、不正解はありません。

家族の数だけ、相応しい方法があるのだと思います。


介護問題がまだ先であるとしても、母親との関係に葛藤やモヤモヤした感情をお持ちでしたら、是非、安心安全なリコラの体験でその胸の内をお聞かせ下さい。

娘としての大きな荷を解いて、母娘のエピソードを見直してみる作業は、今を生きるヒントになることと思います。












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