裏渋谷とはどこでしょう?

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2022/2/10(木)

裏渋谷ということばが使われだしたのはいつごろからでしょうか。裏原宿の名称から来たのだろうと推測するのですが、奥渋谷という名称と共に、10年ほど前から雑誌などで紹介されていたようです。それが今から7年ほど前に、NHK放送センターの西側が奥渋谷となり、神泉駅に近い滝坂道が裏渋谷通りと、その名称を公式に記すようになりました。


奥渋谷は最近のNHKの番組でも紹介されていましたが、裏渋谷の方はどうなのでしょうか。


渋谷マークシティの西側から出た交差点の一角、道玄坂上交番の横から入る道があります。一方通行の出口なのですが、これが歴史のある滝坂道なのです。この道が旧山手通りにぶつかるところまでを裏渋谷通りと呼ぶようになりましたが、円山町と百軒店も含めて裏渋谷と呼んでよさそうです。

ただ、将来にわたってこの呼称が伝わるかどうかは分かりません。裏日本という言葉が嫌われるようになったくらいですから。



渋谷のもう一つの顔をいってもよいのですが、現在の渋谷の賑わいは、130年もの昔にこのエリアが陸軍軍人の休息の地になったことから始まるといえるのです。山あり谷ありの複雑な地形の中を、細い道が迷路のように通っています。

そしてここは、ラブホテルが密集する場所でもあります。だから歩きにくいということもあるでしょう。地元の商店街の人は「風評被害が多くて困る」ともいってました。



写真は街の中にある公園です。この鉄棒は何故あるのでしょうか?


渋谷の歴史を知るには避けて通ることのできない場所なのですが、ご案内するコースを歩いてみると、こんなにラブホテルが多いのか、と驚いてしましたました。壮観ともいえます。初めて歩く人なら逃げ出したくなるかも知れません。その前に、そのエリアには近づかないという人も多いようです。だからこそご案内する価値があると思うのです。





渋谷で100年の歴史を伝える道は、世界でも珍しい街並みなのかも知れません。コロナ前は外国人であふれていた店も何軒かあります。そんな裏渋谷が変わりつつあります。来年4月には新しい高層ビルができて人の流れが変わるでしょう。どんな街になっていくのか、楽しみでもあります。裏渋谷ではない、これが渋谷の本丸だ、ということになるかも知れないのです。100年前にはそうであったように。

この記事を書いたユーザー

1947年生まれ。渋谷駅とのお付き合いは記憶がはじまるころからになります。2002年に渋谷駅西側の観光ガイドとなる地域情報サイト「渋谷WEST」を立ち上げました。しかし、WEB上よりは対面でということでainiという場を活用してご案内をしています。 2014年7月から2017年4月までは、KADOKAWAのWalker47~Walkerplusで、渋谷の地域編集長としての投稿をするために、渋谷のお店などの取材経験をしていたこともあります。 もともとは海外事業も展開するメーカーの会社員でしたが、一つの会社の中でいくつかの分野の仕事をする機会に恵まれ、20世紀の海外の地に出張することもよくありました。 この20年は、渋谷駅から近いところに住んでますが、それまで、いろいろな街で生活してきました。生まれてから住んだことのある都市をあげてみると、杉並区、下松市(山口県)、世田谷区、高槻市(大阪府)、西宮市(兵庫県)、枚方市(大阪府)、ナイロビ市(ケニア共和国)、保谷市(現西東京市)、三鷹市、目黒区(現在)です。 2016年10月に初めてainiの前身TABICAのホストを経験しましたが、内容の見直しをしているうちに3年の歳月が流れました。その後、2019年11月1日に渋谷スクランブルスクエアのオープンしたことを契機に、2027年度の渋谷駅再開発事業完成まで、変わりゆく駅周辺の変貌を多くの皆様と共に見届けていくことにしました。コロナ禍によりツアーを休止せざるを得ないこともありましたが。コースの見直しをして2024年9月から渋谷空中回廊を歩くご案内をしており、東京のさまざまな街の中で、際立った個性をもつ渋谷について、空中回廊を歩きながらご紹介をさせていただきたいと思っております。

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