須賀敦子輪読~旅のむこう
2022/9/7(水)
1993年6月文学界・古い地図帳に発表。
1962年須賀さんが結婚の翌年、ペッピーノを伴って日本の実家に帰り、
父からプレゼントされた九州の旅の描写から始まる。
登場する地名は、阿蘇、豊後竹田など。
作品全体は、母と子の物語である。
63歳になっていた須賀さんは、いとおしさをこめて母のことを書いている。
新婚旅行の写真の母、「ママ、きれい」と須賀さんは母にいう。
反対された結婚だったこと、二人の新婚旅行は別府が目的地で、
須賀さんとペッピーノにも別府の旅を設定して行って来いという父のこと。
《以下引用》
だれにも守ってもらえない婚家での苦労を一時でも忘れようとして、母は、つらい分だけ、まるで編み棒の先からついとすべり落ちた編目を拾うように、あるいはやがて自分自身をとじこめることになる繭のために糸を吐きづづける蚕のように、いまは透明になった時間の思い出を子供たちに話して、自分もそれに浸った。思い出をたどる時だけ、母は元気だったので、私たちは、母の思い出にそだてられた。《引用終り》
この作品で、特に惹かれた部分。秀逸な表現力。
この作品では、母の家族のことが綴られる。
一年ほど暮らした青島のことも。
フランスやイタリアへと行ってしまった娘への愛情ととまどい。
自立を願いながらも抱える母の孤独。
洗礼をうけることによって、遠くに行ってしまった娘との距離を、少しでも埋めようとしたのだろうかと須賀さんは書く。
自分と娘の関係のように作品を読んでしまう。
「終点にだれもいないより、神さまがいたほうがいいような気もするわ」
思わずこの行にハートマークをつけてしまった自分がいます。
この作品の最後の一行
須賀さんが、日本の滞在をおえて、イタリアに帰る際に、母のためにミラノの住所を書いた封筒の束を渡します。
母はその宛名をじっと見つめながら、言います。
「ミラノなんて、おまえは、遠いところにばかり、ひとりで行ってしまう」
2022年9月7日 読書記録・旅のむこう 風花
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