芭蕉 越後路へ

2021/6/24(木)

象潟から酒田に戻った芭蕉は7泊したのち

浜街道を西へ向かいます。


多くの俳句仲間に送られ酒田を6月25日

に出発し、その日は大山に宿泊。


大山からは海岸の三瀬へ出て、あとは海浜

沿いに、波渡崎、堅苔沢、鬼かけ橋、塩俵岩、

立岩などの岩礁を見ながら南下します。


今の国道七号線「おばこおけさライン」にあたります。


芭蕉は今のJR羽越本線 温海温泉駅の少し北の

街道沿いの場所に宿泊します。


温海から約8kmで鼠ヶ関があります。

古代には、白河、勿来と共に奥州三関と詠われた

念珠ケ関の地で、江戸時代は庄内と村上両藩の境、

現在でも山形と新潟の県境となっています。




鼠ヶ関の近くには小さな岬となった弁天島があり、

ここは義経・弁慶一行が平泉に赴く際に能登から佐渡島

経由で上陸したという話があります。

この場所にも、『勧進帳』の安宅関同様のことが

あったともされています。





「奥の細道」の原文では越後路という部分にこの鼠ヶ関

が出てきます。


「酒田の余波日を重て、北陸道の雲に望、遥〃のおもひ

胸をいたましめて加賀の府まで百卅里と聞。鼠の関を

こゆれば、越後の地に歩行を改て、越中の国一ぶりの関

に到る。

此間九日、暑湿の労に神をなやまし、病おこりて事を

しるさず。


文月や六日も常の夜には似ず


荒海や佐渡によこたふ天河



松島、平泉、象潟を頂点とした芭蕉の「みちのく紀行」

はこの鼠ヶ関に到達したことで一応の完結となります。


この先、「奥の細道」結びの地である大垣までは一気に

話が進むようです。


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