象潟や 雨に西施が ねぶの花

2021/6/15(火)

酒田に逗留していた芭蕉は象潟を目指して

6月15日に出発。しかし15日は雨が激しく、

秋田県の県境近くの吹浦に宿泊。

翌日16日から18日を象潟で過ごします。


象潟は芭蕉が訪れた頃は、松島のような

入り江に多くの小島が点在する風光明媚な

場所で、歌枕の地として知られ、古今和歌集

や新古今和歌集などにも詠われた場所です。



『象潟は、紀元前466年に鳥海山が噴火し、

発生した大規模な山体崩壊による流れ山が

日本海に流れ込み、浅い海と多くの小さな

島々ができあがった。

やがて堆積作用の結果、浅海は砂丘によって

仕切られて潟湖ができた。

そして小さな島々には松が生い茂り、風光明媚

な象潟の地形ができあがった。

東西の長さは約2km、南北の長さは約3km


江戸時代には「東の松島 西の象潟」と呼ばれる

ほどででした。

しかし文化元年(1804年)の象潟地震で海底が

隆起し、陸地化した。

その後、本荘藩の干拓事業による水田開発に

飲まれ、歴史的な景勝地は消されようとして

いたが、当時の蚶満寺の住職・二十四世

全栄覚林の機転や命懸けの呼びかけによって、

後に保存運動が高まり、今日に見られる景勝地

の姿となった。』

(ウイキペディアより引用)






芭蕉は松島と象潟を比べて


『松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し』


と評しています。


「憾み」は「物足りなく残念に思うこと」

という意味です。


この象潟では、有名な


『象潟や雨に西施がねぶの花』


という句を詠っています。


雨に濡れる合歓の花に、病んで眉をひそめる

美人西施の風情をみて、象潟の憂愁の景色を

詠った句となっています。





西施は中国周代の越の美女。越王勾践が呉に

敗れた結果、呉王夫差に献じられ、夫差は

その西施の美しさにおぼれて国を傾けたという。


芭蕉は18日には、再び酒田に戻り、

さらに七日間逗留します。


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