芭蕉 塩釜神社・松島へ
2021/5/10(月)
5月9日早朝、芭蕉一行は塩釜神社に参拝します。
鹽竈神社は陸奥一宮とされ、御祭神は別宮に主祭神たる塩土老翁神
左宮に武甕槌神、右宮に経津主神がお祀りされています。
武甕槌神、経津主神といえば、出雲の大国主命に国譲りを迫った
武神で、それぞれ茨城の鹿島神宮、千葉の香取神宮に祀られる
神です。
鹿島神宮
香取神宮
関東以北の精力に対してにらみを利かすためにそれぞれの地に
祀られたと思いますが、ここ塩釜も多賀城の近くやはり多賀城以北の
精力ににらみを利かすために、塩土老翁神がこの二柱の神を伴って
この地に鎮座したそうです。
その後、武甕槌神、経津主神は帰りますが、塩土老翁神がここに
残り、人々に塩作りを伝えたということです。
ついでに言いますと、塩土老翁神は神武天皇の東征を導いたことにも
なっています。活躍されていますね。
塩釜神社の境内には天然記念物の塩釜桜がありますが、
この桜を見ることも奥羽行脚の目的であったらしいです。
ちなみに今の桜は芭蕉が見た当時の桜ではなく、枯れたため
改めて植えられた桜ということです。
塩釜より船に乗り、松島を目指す。千賀の浦・籬島・都島を見ながら
松島に着船します。雄島を見物し、翌日に瑞巌寺を訪れます。
籬島(まがきじま)
雄島
瑞巌寺
瑞巌寺の正式名称は松島青龍山瑞巌円福禅寺
(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。
平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、
現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷します。
今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、
伊達政宗の造営によるものです。
松島は、奥の細道の冒頭に「松嶋の月 先心にかかりて」とあるほど、
奥羽行脚の目的地の中に数えられています。
ただ、芭蕉自身はこの松嶋では句を詠んでいません。
弟子の曽良が
『松嶋や 鶴に身をかれ ほととぎす』
と詠んでいます。感動しすぎて詠むことはできなかったのですね。
この松嶋には芭蕉も訪れているようで「西行戻しの松」がこの近くに
あります。
西行法師が諸国行脚の折り、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、
松島行きをあきらめたという由来の地ということです。
西行もあとすこしというところで松嶋のそばにはいけなかったのでしょうか。
西行戻しの松公園からの松島湾
現在、松嶋湾を眺める高台に「西行戻しの松公園」として整備されていて
松嶋湾の眺めはばっちりなので、遠くから眺めただけで西行も満足した
かもしれませんね。
この公園は桜の名所としても有名です。
ただ、どの松が「西行戻しの松」であったかはわからないそうです。