野田の玉川・沖の石・末の松山

2021/5/9(日)

多賀城で壷碑を見た芭蕉は、塩釜まで足を延ばし御釜神社に立ち寄ります


御釜神社は、宮城県塩竈市本町にある神社。現在は鹽竈神社の境外末社。

祭神は鹽土老翁神です。



ここには「塩竈」の地名の由来とされる竈が境内に安置される。

御釜神社には鹽竈神社の神器とされる4口の竈が安置され、

これらは「神竈(しんかま、神釜)」または「御釜(おかま)」と称されます。

「塩竈」の地名はこの神器に由来するという。



竈の中に張られた水は、干ばつの時にも絶えることがないといわれ、

日本に大異変があるときは水の色が変わるそうです。

東日本大震災当日も普段は赤褐色の色がきれいに澄んだ水に変わったとか。

不思議です。


その後、塩釜と多賀城の間を流れる歌枕にもなっている六玉川の1つ野田の玉川

により、多賀城に戻ります。


歌枕になっている「沖の石(興井)」と「末の松山」を訪れます。

この2つは多賀城市八幡2丁目あたりになります。

大学生時代、友人がこの辺にアパートを借りていたのでよく訪れました。



「沖の石(興井)」は住宅地の中にある池で、中に大きな岩があります。

宅地開発などで削られた後もないので、芭蕉が見た当時と余り変わっていないと思います。

近くを流れる砂押川の細い支流がこの池に流れ込んでいるようです。



「沖の石(興井)」から北に徒歩一分ほど、宝国寺の裏手に2本の松が見えてきます。

この2本の松そびえる丘が「末の松山」です。




大学生時代、芭蕉にはあまり興味がなかったので「沖の石(興井)」、「末の松山」も

凄さを感じておらず、もったいないことをしました。


芭蕉はこの後、再び塩釜に戻り一泊します。

翌日は塩釜神社、そして日本三景の1つ松島を訪れます。

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