旅心定まりぬ
2021/4/19(月)
旧暦4月20日、芭蕉は芦野の遊行柳の後、境の明神に至ります。
関東(栃木県)側と奥州(福島県)側各々に社が建ちます。
ここが俗に白河関の跡だと思われていました。
下野側(栃木県那須町)の玉津島神社
陸奥側(白河市)の住吉神社
実際の白河の関跡はそこから東に2里ほど
旗宿という宿場に到着します。
一泊したのち宿の主人にその場所を尋ね
かつて白河の関があった場所だと思われる神社を訪れます。
源頼義、源義家、源頼朝そして西行法師も
この白河の関を越えて陸奥へと足を踏み入れたたのでしょう。
芭蕉もここまで、約ひと月の旅を続け、心境も変わったのでしょう。
心もとなき日数重ねるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。
<現代語訳>
心が落ち着かない日数が積もってゆくうちに、
白河の関に差し掛かってようやく旅の心も落ち着いた。
奥の細道では、この場所での芭蕉の句はありませんが、
随行した曽良の句があります。
『卯の花を かざしに関の 晴れ着かな』
<句意>
(この関を越えるとき、古人は冠をかぶり直し正装に改めたそうであるが、
いま私には冠や着替えの用意はない。せめて道端に白く咲いている)
卯の花をかざしにして(それを)関越えの晴れ着にしよう。
三省堂・新明解シリーズ「奥の細道」(桑原博史監修)より