清水山城とは_其の壱 歴史の説明

2021/3/9(火)


ビーコンつしま代表の佐藤です。


「城下町厳原で朝活!」の体験ページをオープンし、写真をたくさんアップしたものの、目的地の清水山城がどんなところか分かりづらいかと思いますので、今回から4回に分けて、朝活の見どころを紹介したいと思います。


はじめに、清水山城ができた歴史的経緯を説明します。

時は16世紀末、いわゆる豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際し、肥前・名護屋城と朝鮮半島・釜山とを結ぶ兵站(へいたん)拠点として、前年の天正19 (1591)年築城されました。

尾根沿いに、東西約500mにわたり竪石垣が斜面を這うようにつながり、戦国末期の多様な石積みを見ることができます。


朝鮮から撤退後はすぐに廃城となり、当時の遺構が改変されることなく残されてきました。

厳原港から見ると、現在は曲輪(くるわ:城の内外を石垣などで区画した平坦面)と呼ばれる場所以外、上の写真のように木で覆われていますが、現地に行くと曲輪と曲輪の間が、現在も石積でつながっていることが確認できます。

お城って、改変されることあるの?と思われるかも知れませんが、例えば、城跡の上に県庁や市役所の建屋があったり、公園に整備されていたりすることはよくあることで、そのまま残っているのは大変貴重なことなのだそうです。

清水山城は、昭和59(1984)年、国の史跡に指定され、のちに指定された対馬藩主宗家墓所、金石城跡とともに、安土桃山時代から江戸時代にかけての対馬を伝えています。


次回から、お城に作られた三つの曲輪をご紹介いたします。

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