《便利》だから始めて《必要》だから伸ばしていって《好き》になったもの
2021/1/15(金)
料理を始めたきっかけは、それが便利だからだった。
いちばん最初に1年を海外で過ごしたあと、住所不定の時期が2年半くらいあった。
ギャップイヤー(ズ)といえばそうだけど、もっと所在のないもの。
(経緯はこちらのnoteに書いています→ https://note.com/doubleespresso/n/n695e38d95cf8 GOAL FREEな時間)
いろいろ言われたりもしたのだけど、この期間がすごくよかったと今もおもうのは、やりたいことをやってみることが思う存分できたこと。
その生活を可能にしたのが、料理の仕事だった。
収入は季節労働やリゾートバイトで賄っていて 数ヶ月ガッと働いて、数ヶ月は社会勉強にいくという感じで、派遣会社の担当の人にもよく理解してもらい、いろんな職場を紹介してもらった。
最初はサービスの仕事もしていたけれど、接客という特性上、属人性が高く、3ヶ月や6ヶ月という単位ではなかなか積み上がらない。
なので、せっかくなら《身ひとつでできること》をまさに【身に】つけたい、と考えて、調理の仕事に切り替えていった。
つまり、どこにでもあって、便利だったから料理の仕事を選んだ。
短い期間、いろんなホテルや旅館の調理場に入るということを繰り返して、教えてもらえるのは基本的なことだけだったけど、
同じ職場にいるひとが視界に入るので、「そうやるんだ」というのは見て(たまに優しい人に教えてもらって)おぼえていった。
オーストラリアに仕事で行く選択肢を拓いたのも料理だった。メールで「日本の調理師免許もってます」と書いた。それが決めてになったとあとでボスにきいた。
Newcastleで働けたから、コーヒーがある空間やみんなで食事をたのしむ文化がもっと好きになった。
帰国してから、1度ちゃんと学びたいとおもって、レストランに入った。
この職場が大当たりだった。
風当たりの強い部分もあったけど、たぶんものすごく伸びた。
価値観が合うところで学ぶと感性が伸びるし、全然通用しない環境は、やめないで続けることで技術を伸ばす。
便利だから始めるというのは動機として不純っぽいなとずっとおもっていた。
学校に行って学んで仕事にしている人たちのなかにいるとそう感じることがよくあったけど、いまはそうじゃないな、とおもう。
動機としての便利と必要と好きは近くにあって、行き来するんだとおもう。
どれかだけでいけるひともいれば、バランスよく入ってないと続けられないひともいる。
自分のなかで、ようやくバランスがとれてきたのが今なのかもしれない。
家にいる時間が増えたり、誰かのお宅で料理をつくることが増えて、料理というツールは趣味的にも実用的にもものすごく優秀だとわかった。
たぶんいままででいちばん料理がたのしい。仕事でも趣味でもめっちゃたのしい。
いろいろ不便な時期だけど、料理があってよかった。
TABICAでの体験はこちら。
日曜日の朝食会 → https://tabica.jp/travels/31603
バリスタ とめぐる「コーヒーショップ 分解」ツアー → https://tabica.jp/travels/23491
興味があるところでお会いできたら嬉しく思います。☺︎