武州御嶽840年目の真実 §3 おいぬ様は大口真神なのか?

2025/7/31(木)

§3 おいぬ様は大口真神なのか?


【 玉垣内の不思議な景観 】

東京都青梅市の御岳山(みたけさん)山頂に鎮座する武蔵御嶽神社は、明治維新以降、主祭神櫛真智命(くしまちのみこと)を含めた四柱のご祭神を「御嶽大神」と総称し、神社神道の祭祀を執り行っています。そして、そのご眷属も大口真神(おおくちまがみ)という名前の神として崇められ、「おいぬ様」の愛称で親しまれています。これにちなんで神社では愛犬の健康祈願を受け付けています。そのため、一般的に清浄神聖な神社境内へのペット連れでの立ち入りが禁止されていることが多い中で、同社には多くの参拝者が愛犬連れで訪れています。

大口真神はニホンオオカミを神格化したものといわれ、同社では、神話時代の英雄日本武尊(ヤマトタケルノミコト)【画像1】の東国遠征中に、尊一行を苦難から救ったことから、尊に命じられて御岳山に鎮座してこの地域の守護神となったと伝えられています。現在、同神社の拝殿にはその時の様子を描いた大きな額絵(『武尊深山跋渉之図』、鰭崎英朋、大正元年奉納)が掲げられています。

さて、その大口真神の社殿は、神社の玉垣内(幣拝殿裏の最も神聖な区域―さすがにここは愛犬連れでの立入は禁止)の最奥にある本殿よりも数段高い小山に設置されています【画像2】。

そこで不思議なのは、ご眷属、つまり神のお使い・下僕(しもべ)であるはずの大口真神が、主祭神の背後のしかもより高い位置に祀られているということです。ある存在に対して、その後ろまたは高い位置にある方がより高位であるという考えは、世界的な共通認識だと思います。現在の本殿と大口真神社の位置関係は、それからすると主従逆転した形といえるのです。

これは何故なんでしょう?


【画像1】 日本武尊像(大阪府堺市の大鳥大社・パブリックドメイン)


【画像2】 武州御嶽山鳥観図(本殿と大口真神社の位置関係)

【 大口真神社以前の状況 】

大口真神が、武蔵御嶽神社主祭神のご眷属であることは、その像が拝殿前や本殿の階下、旧本殿等に脇侍している様子から間違いありません(そういう意味では、大口真神社自体の脇侍に狼像が据えられているのは不思議といえば不思議な話です。ただし、数多くいるニホンオオカミの中で日本武尊を助けた個体が大口真神になり、それが自分の下僕として他の狼を脇侍させているとすれば一応辻褄は合います)。

しかしながら、御岳山の長い歴史の中で、大口真神が正式に「神」として崇められるようになったのは、そんなに古い話ではありません。先ず江戸後期の文化文政年間(1804~1830)に神狗堂が置かれ、さらに大口真神の社殿がこの場所に初めて建立されたのは安政五年(1858)のことです。現在の社殿は2代目で昭和12年(1937)に建立されました。初代の社殿は現在産安社になっています。 また、武蔵御嶽神社でおいぬ様のお札を発行するようになったのは、早くても享保年間(1716~1736)以降で、さらに本殿脇侍のおいぬ様銅像【画像3】は天明三年(1783)製とのことですので、いずれにせよ、江戸時代中期、18世紀から大きくさかのぼることはないと思われます。

ではそれ以前、特に中世、あの場所にはいったい何があったのでしょうか? 現在、大口真神社の脇には奥宮遥拝所【画像4】があります。そしてその先には甲籠山(きれいな三角形の山、奥宮が鎮座)が聳えています。実は、御岳山の起源説のひとつとして、この甲籠山を神が宿る聖なる山(神奈備)として崇めるために、御岳山山頂に社殿が建立されたというものがあります。もしそうだとしたら、現在の遥拝所はあまりにも貧相です。はっきり言ってショボ過ぎます。神狗堂が建立される以前は、この小山全体が奥宮の遥拝所であったと思われます。

そしてこの場所で、これ【画像5】が行われていたと推理するわけです。中世の御岳山は、修験道の守護神である金剛蔵王権現を主尊として祀っていたわけですから、回峰修行する修験者が入山勤行した跡地が、御岳山のどこかにあって然るべきです。敷地のサイズ的にはぴったりです。


【画像3】 本殿脇侍のおいぬ様銅像(天明三年・1783)


【画像4】 奥宮遥拝所と甲籠山―大口真神社の脇に申し訳なさそうに立つ現遥拝所とその先に聳える甲籠山


【画像5】 髙尾山有喜苑の柴燈護摩壇


【 おいぬ様のお札から探る本来の“おいぬ様” 】

おいぬ様のお札のことを、正しくは「御神狗」といいます(*1)。ですからおいぬ様の漢字表記は「御狗様」ということになります【画像6】。しかしながらその一方で、御岳山、ひいては関東西部の山岳地帯には古くから「狗」の字を用いた、もうひとつの霊的存在がありました。現在、武蔵御嶽神社ではその存在を公けに語ることはありませんが、ロックガーデンに行けばそこかしこに今でも見かけます。

答えは、 天狗 です。

実はごくごく最近まで御岳山の天狗は普通に宣伝されていました【画像7】。そして少なくとも元禄年間(1688~1704)には、甲籠山の山頂(別名「奥の奥院」―甲籠山には奥の院の奥にさらに奥の奥院があった。。。ややこしい💦)に祀られていたことが分かっています。その名を

「大天狗小桜坊(おおてんぐこざくらぼう)」

といいました。後世、色々情報の錯綜があり、御岳山には「大天狗・小天狗・桜坊(または小桜坊)」という三座の天狗がいたような記述【画像8】もありますが(私も最近までそう思っていました)、正しくは「小桜坊」という名前の大天狗が単座祀られていたのだと思われます。

つまり、「狗」という表記は、大天狗小桜坊の方が、大口真神より古いのです。

現在私たちがイメージする天狗といえば、やはり赤ら顔の鼻高天狗でしょう。しかし、中世の日本人がイメージしていた天狗、特に大天狗は、私たちのそれとは似ても似つかぬものでした。


(*1)厳密にいえば、「御神狗」とはお札ではなくておいぬ様そのものです。ちなみに御師の檀家廻りの際、お札は木箱に入れて運ぶのですが、その蓋には中のおいぬ様が呼吸できるように空気穴が開いています。


【画像6】 古いおいぬ様のお札 「御神狗」の文字が見える(一魁斎正敏氏のXから転載)


【画像7】 『日本大天狗番付』(民主公論社発行,1963)に載る「武蔵御嶽櫻坊」


【画像8】 『新編武蔵風土記稿』より奥の奥の院に坐す「大天狗小桜坊」の記述


【 本来の“おいぬ様”とは? 】

Wikipediaで「大天狗」を検索しますと、「天狗」とは別の記事となっています。その中に次の記述があります。


  • 「大天狗 さまざまな説があるが善悪の両面を持つ妖怪もしくは神とされ、優れた力を持った仏僧、修験者などが死後大天狗になるといわれる。そのため他の天狗に比べ強大な力を持つという。」
  • 「中世以降、天狗は『大魔王』などと呼ばれ、天狗は天狗道に堕ちているがゆえ、不老不死とされ、仙人の如く様々な業を発揮し、仏教に障害を試み、ものによっては国家を揺るがす大妖怪とされるようになる。」
  • 「大天狗となる者の中には、その前世に優れた業績や霊力・呪力を持つとされていた人物が少なくない。そしてそうした事実が、人々の心にあった天狗の格を上げていき、害を成す天狗にいたっては大魔王として扱われるようになったのである。」


中世日本における最たる大天狗は、最恐の怨霊崇徳上皇です【画像9】。『保元物語』には、上皇が配流先で、生きながら天狗のような容貌になり、自らが写経した五部大乗経に、舌を噛み切って流れ出た血で「死後この経をもって魔道に転生し、日本国の大魔縁(大天狗のこと)となってこの世を破壊する」と書き込んだと記されています。

優れた業績や能力を持ちながら非業の死を遂げた高貴な人物は、怨霊となり、さらに怨霊の中でも魔道に転生したモノは大天狗になると信じられていたのです。

また、同様に「天狗」の項目を見ますと、天狗は、地域によっては「狗賓(ぐひん)」とも呼ばれているそうです。

「狗賓」=「狗」+「賓」。

そして「賓」は、「まろうど、客人、大切な客、賓客」という意味。つまり、“お客様”です。したがって狗賓は、

客狗=おいぬ様

です。「おいぬ様」という呼称は、御岳山に本来祀られていた大天狗小桜坊に対する畏怖と崇敬、さらには怨霊も永らく手厚く鎮魂供養すればご利益を授けてくれる(御霊信仰)存在として、愛惜の念を込めて付けられたものであったのではないかと考えられます。しかし、いつしかその記憶も失われ、長い歳月を経て「おいぬ様」という言葉だけが残り、大口真神の愛称として復活仮託されたものではないかと思われます。

そして、神奈備甲籠山に鎮座するこの山塊の主(ぬし)たる大天狗に対して回峰修行中の修験者が祈りを捧げるべく、御岳山のこの場所で柴燈護摩供(*2)を執行していたとすれば筋は通ります。その跡地に「おいぬ様」を仮託された大口真神社が本殿より上位にあっても納得できるわけです。

そんな推理の中で、あの有名な『オオカミの護符』(小倉美恵子著・文庫版2014年・新潮社)に非常に興味深い記述があります。

  • 「さらにこの『ニホンオオカミ』を祀る『大口真神祭』では、御嶽神社が山岳信仰の霊場であることを物語る所作が見られた。神事の最終盤に、社殿の奥に連なる山々に向かって深々と一礼するのだ。(中略)金井宮司(*3)によれば、奥の院が置かれている『男具那ノ峰』に対する遥拝だという。そして御嶽神社で行われる数々の神事の中で直接山を拝むのはこの大口真神祭だけだと言った。さらに興味深いことに、現在社殿が置かれている御岳山は、本来信仰の対象である『男具那ノ峰』を拝むための遥拝所ではなかったかとも宮司は言う。」


では果たして、御岳山の大天狗小桜坊とはいったい何モノなんでしょうか?


(*2)柴燈護摩供(さいとうごまぐ)・・・修験者(山伏)が野外で行う護摩法要のこと

(*3)金井宮司・・・先代。現宮司の御尊父


【画像9】 『椿説弓張月』より崇徳上皇が讃岐で崩御し怨霊になる瞬間を描いた一場面(歌川芳艶画、パブリックドメイン)


【画像10】 武蔵国御嶽山絵図面―甲籠山(左上)に「小サクラ坊」の表記あり(パブリックドメイン)


―§3 おいぬ様は大口真神なのか?(おわり)

本稿は、ホスト独自の知見に基づく個人的な見解です。

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