辛垣城の戦い現場レポート #1 北条軍の渡河点はどこか?
2025/7/25(金)
Taiyaki Field Work vol.1
辛垣城の戦い現場レポート #1 北条軍の渡河点はどこか?
さて、『改訂増補青梅市史』(以下『市史』)には、攻める北条氏照軍は、梅ヶ谷峠を越えて三田谷に侵入し、そこから多摩川南岸の鎌倉街道(秩父道)を西進し、柚木村の根岸(現在の柚木町3丁目)から、「川を渉って二手に分れ、一手は軍畑から平溝川を越えて西木戸口を攻め、一手は多摩川原を下って檜沢(現・から沢)伝いに辛垣山へ進撃したと伝えられる」と記されています。
私はこの説には懐疑的です。と言いますのも、現地に行けばすぐに分かりますが、北条軍の渡河点とされる軍畑の渡し付近は、多摩川南岸は比較的なだらかで下りやすいですが、対岸の辛垣城側は急峻な崖で大人数が上陸することは非常に困難です。よしんばここから渡河できたとしても、上陸後に軍を二手に分けるスペースなどありません。
その一方で、『市史』は、西城城下が多摩川に接する舌状台地下の砂州について、「河道の特性から、その位置はほとんど変わらず、比較的安定した河原となっている」として、この地が平時における多摩川水運の拠点(物資の集積地)となり、近くを通る鎌倉街道(陸路)と相俟って、「活気に満ちた宿町を彷彿とさせる」として、西城城下に城下町が形成されていたことを示唆しています。
つまり、この付近は、ダムのない時代においても流れが穏やかに安定していて、大人数の作業に適した場所であったと述べているのです。
さらに地図を見ると、此岸と彼岸の両方に砂州があり、地形的にも両岸ともなだらかで、大軍が渡河するのに、ここ以外に最適な場所はありません。
したがって、氏照軍本隊は、柚木村の木ノ下(柚木町2丁目、喜久松苑さんの敷地辺り)から、この舌状台地下の砂州目がけて渡河したものと推定します。
そして、兵力の少ない三田軍を分散させる陽動作戦として、別動小隊を「渡河前に」分けて、それらを軍畑の渡しから平溝川西岸に渡らせ(東岸は断崖絶壁)たものと思われます。
【地図】北条軍推定進軍・渡河ルート
【地図上の番号①】軍畑大橋南交差点から氏照本陣(推定・手前の畑地)と辛垣城・桝形山城を望む
【番号②】軍畑大橋から辛垣城・桝形山城を望む
【番号③】喜久松苑さんから舌状台地砂州を見る(特別に許可を得て撮影)
【番号④】木ノ下八幡神社(由緒不明)―八幡神は軍神。小祠にしては立派過ぎる御神像(渡河の成功を祈願か?)