立つ」ということをどのように伝えるか

2024/10/31(木)


立つことをどう伝えるのか?特にその伝え方について20年以上試行錯誤してきている。

立つというのはこの写真のようにありたいと思っている。重力を味方につけるとはこの柱のように、接着剤も釘も使わずただただ重力のままに落ちてるだけで良いのではないかと思う。柱がそうであるように、どうもこれが圧倒的に安定するようだ。




地球にいると上から下にものが落ちる力、落ちようとする力がはたらく。それが原理原則なのだから重力にいちいち抗う必要はないのだろう。

そんな力に適うわけないから余計なことはしない方が賢明だということも言えそうだ。


この柱が體に通るように、柱ができるスペースを整えるように骨格から姿勢を整えることで、体幹ができる。そして体幹があるとき、腹圧がかかる。

それはまるで腹筋で鍛えているかのようにお腹が引き締まる感じがあるが実は何もしていない。腹圧は浮き輪やふうせんに空気が入ったときのように、グチャっとした状態から張りのある感じだ。野球応援の時の縦長のスティックのようなイメージをしていただくとよいかもしれない。スティックに空気が入って、上半身がシャンとしてくる。


すると足裏と地面の接地した感覚、足裏の踏み圧がかかってくるのが感じられる。木の柱でいえば、この圧がかかるために土では頼りないので、その土台として石が置かれているのであろう。それほどに強い力がはたらいているのだろうと思う。そして、これが「地に足がつく」であり、踏ん張るもグラウディングも同様に足を力ませたりすることではないし、してしまうと力みにより足裏との接地面が減り、不安定になって他の部分、例えばふくらはぎ、太ももの前が力んだり腰を反らせたり肩に力を入れたりして滞りが生まれ血流の巡りを妨げコリ冷え、緊張に繋がるという具合であるのだから、この踏圧を感じられる状態で立つことで、全身の緊張が抜け、手足があったかくなってくるということになる。そして、あたたかいとき、私たちはしあわせだと感じるようになっているようだ。


ちなみに、足裏の踏み圧を感じられるとき、脳に信号が送られ活性化し、脳が安定している時私たちは自己効力感を得ることができそうだ。

話を戻すと、体幹というのは、勝手に自然にそう「なる」のであって「する」のではない。なので「体幹を鍛える」などいう表現はおかしいということになってくるということだ。もしそのような表現を耳にした時に「それっておかしくない?体幹なんて鍛える必要ないはずよね」と、なにかしらの違和感を感じてもらえたなら、私の指導はうまくいってるのかもしれないと思ってよいのかもしれない。




もう40も過ぎたら年齢的に重力に抗えないのだから、重力を味方につけていこうじゃないの!というご提案が、新講座「骨から整えるからだのレッスン」です。




次回開催日程(奈良)

11月28日(木)13-17時 終了

1月26日(日)13-17時 申し込み受付中


参加費22000円






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