オリ-ヴ林のなかの家~めるさんの読書記録
2022/4/6(水)
めるさんの読書記録
須賀さんとペッピ-ノを頼りに家を訪ね、キッチンで夕食を共にした仲間のひとり。
彼はいつの日かふらっと書店に入ってきて、閉店の作業を手伝い、そのままペッピ-ノと一緒に家に帰って来た。
末の弟みたいだと須賀さんは思い、出来る限りのおもてなしをする。
「あるもので我慢しなさい」なんて言いつつも。そんな日常が長く続いた。
アシェル・ナフムについて書かれたこの章は、ひとりの人間が見せる顔ひとつだけで生きていないことを教えてくれる。
しかもその事実は、遠くアディスアベバから届いた一通の手紙から唐突に知ることに。
そこには彼が、門から家まで車で30分以上かかる農場主になったと書かれていた。
彼はアシュケナ-ジといわれる、パレスチナ系のユダヤ人だった。
この言葉もそうだが、ユダヤ人と一括りに出来ないことをここで初めて知った。
『ユダヤ人はユダヤ教を信仰する民族で、もともとパレスチナに住んでいた。
1世紀にユダヤ人のなかからイエス・キリストが現れ、キリスト教が誕生するが
彼を救世主と認めない人々はユダヤ教の信仰を守り続けた。
やがてローマ帝国の迫害でパレスチナを追われると、中東や欧州に離散した。
欧州に住み着いたユダヤ人のなかで、現在まで続く集団が2つある。アシュケナムジとセファルディムだ。』
~「地図でスッと頭に入るヨ-ロッパ47カ国」昭文社~
須賀さんは彼についてロ-マ育ちということぐらいで、どんな家に住まい、どんな仕事をしているのかさっぱり知らなかった。
お金がないと憔悴している時があれば、ぱりっとしたス-ツ姿の日もあった。
定職についてはいなかったようだ。
それでもとても気が合ったようで、彼の車体ボコボコな古いランチャで楽しむドライブの件は最高に面白い。
やがてそんな彼が結婚する。
同じユダヤ人のミリアムとの結婚生活は2年に満たず、代わりに短い結婚生活を下敷きに著した私小説が彼の支えとなる。
それはテルアヴィブの郊外の、オリ-ヴ林のなかの一軒家を舞台にしたものだった。
その小説を書店の仲間に執拗に読んで欲しいと頼み、出版を促がす困ったアシェル。
書店の奥の棚に山積みになったままの彼の本。
その後、ヨーロッパ各地を転々とし職を得たが、須賀さんへの手紙で、伯父の仕事を手伝うのだと思いがけない決心を知らせる。
ただ、須賀さんはそれをよしとしない。
よく知っていると思っていた彼の持つ意外な一面に驚き、農場主なんかになり切らず
ミラノに帰りまた小説を書けばいいのにと悲しむ。
悲惨なホロコーストの時代を経て、現在、欧州のユダヤ人の多くはイスラエルやアメリカに移住したという。
今思えばアシェルの生き様は、2千年にわたり安住の地を求めた、流浪の民の魂を宿す故ではないか。
そう感じずにはいられない。
~旅する読書会・須賀敦子を読む~