母がしんどい 娘でいるのが辛い
2022/1/6(木)
こんにちは
カウンセラーリコラです。
親に対して「毒」という冠を被せた言葉が社会に浸透してから、ずいぶんと時間が経過しました。
かつて自分の子ども時代を思えば「うちの母親は毒親なんですよ!」などと口にしようものなら、「親に対してなんてことを言うのだ!」と自分の家の内情を知らない親しくもない人であっても、一方的にお叱りを受けたに違いありません💦
「毒親」ついて印象は、自分の成し得なかった人生の目的を、過剰なまでにわが子を通して実現させようとしたり、そのためにわが子に対して支配的であったり、愛情という名の束縛で管理をし過ぎたり・・・・その息苦しさを子どもが訴えたとしても「あなたのためを思って!」「親の気持ちがわからないのか」と言われてしまえば、やがて子どもはその環境に適応してしまい、自分のニーズ誰かに伝えることも、自分が何をしたいのか?と考えることもあきらめてしまう。このような子ども側にとって大きな影響を及ぼす印象がございます。
人のエネルギーを奪う3つの要件は、①暴力②人との比較③過保護・過干渉といわれています。
①の暴力は精神的なもの、身体的なもの、ネグレクト、性的、経済的、と分かれますが、どの暴力であっても、エネルギーを奪います。
②の人との比較もまた、気分のよいものでは無いですし、比較される度に自分はダメなのか・・・とココロの体力が奪われていきます。
③の過保護・過干渉は、親が先回りをして、あらゆる必要なものを準備してしまいます。結果的に失敗することも挑戦する体験も子どもにさせません。すると子どもはどうなるでしょうか?
いつまでたっても「達成感」を学べないのです。人生に失敗はつきもので、その失敗やちょっと恥ずかしいな、という思いを通して「次はこうしてみよう!」「次はちがう方法を試してみよう」と学んでいきます。その機会さえ奪うことは長いスパン子どものココロに大きな影響を及ぼします。しかし、当の親は、子どもにできるだけのものを与え準備をしたという満足感で満たされているのです。考えてみれば、こんなに理不尽なことはありません。
わたくしもそんな理不尽さやしんどさを抱えて、「親孝行」という世間様の呪縛を抱えて生きてまいりました。
子ども時代のしんどさは大人になっても消えることはありません。
年を重ねてやがて親の介護に直面した時に、今までココロに蓋をしていた葛藤が我慢の限界を超えて溢れ出しました。
年老いた母に「手を握って欲しい」と言われても、それが苦痛なのです。
「お前はなんという親不孝な娘なのだ!」そんな、世間様の声が聞こえてきそうです。
でも、出来ないものは出来ない。
わたくし自身も信頼できる先生に話を聞いて頂きながら、親との関係を解釈しなおして、今の自分を受け止めることの出来る状態まで自分を整えてまいりました。
同情と共感の違いをご存じでしょうか。
同情は、可哀想に、気の毒になどと、投げかける一方的な感覚です。
共感は自分自身が経験していることを通して他者の出来事に対して理解することが出来る能力を言います。
自己心理学のハインツコハット氏は、共感は偉大なヒーラーである、人間の心理的成長のために、最も重要な感情体験である、とも述べています。
リコラの「母がしんどい、娘でいるのが辛い」の中で、お話を伺ったみなさまおひとりおひとりが、ご自分のお気持ちを向き合われたあとで、ご自身の経験を通して、他者をジャッジしたり否定したりするのではなく、周囲の方々に対して「共感」なさることで、思いやりと優しさの橋渡しができれば、こんなに嬉しいことはありません。
今抱えているしんどさは、いつか本当の意味での優しさや思いやりに変えることが出来ると信じています。
カウンセラーリコラ