弥生も末の七日

2021/3/23(火)

今日はちょっと伊勢神宮とは離れた話題を。


3月も下旬となり、間もなく4月ですね。

このころになると思い出すのは、芭蕉の奥の細道です。

有名なのは序文


『月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。

舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、

日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。』


古文の時間で習った記憶がありますね。人生観ですね。


今日はそこではなく、「旅立ち」の部分です。


『弥生も 末の七日、明ぼのゝ空朧〃として、

月は在明にて光おさまれる物から不二の峯幽 にみえて、

上野谷中の 花の梢又いつかはと心ぼそし。

むつまじきかぎりは宵よりつどひて 舟に 乗て送る。

千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて

 幻のちまたに離別の泪をそゝく。


行春や鳥啼魚の目は泪


是を矢立の初として、行道なをすゝまず。

人〃は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。』


1689年(元禄2年)3月27日に弟子の川合曾良とともに150日間に

及ぶ奥の細道の旅に出ます。


この旅がこの年に行われたのは2つの意味合いがあったようです。

1つは、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたること。

もう一つは、徐々に解き明かしていきたいと思います。

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