喫茶店の美〜ワビサビとデカダンス
2021/3/17(水)
さて、税金の申告も済んで一息ついたところで、かなり前の話になってしまいますが、なかなか文にできなかったこと、でもかなり自分的には重要なことを書いておきたいと思います。
私のカフェ体験に来てくださったある方から、いろいろご意見をいただきました。
私のカフェ体験では、昭和のおもかげ残る、非日常感を味わえるお店や街の様子を紹介しています。
場所は頃合いを見計らって変えていく予定ですが、今のところ「京成立石」になっています。
しかし、絵描きの私がなぜカフェ体験をするのか?
また、それもなぜ、「京成立石」なのか?
その辺りは、多くの方が疑問に思われることと思います。
昨年末にお出でいただいた方からは、
「住んでもいないし、接点もないのに、説得力がない」
ということでした。
確かに、その通りです。
その方もホストをされていますが、体験はお住いの近くで開催されています。
自分がなぜ「京成立石」に執着するかと言えば、それはただ
「その場所が好きだから」
であり、また
「その場所に、特別な郷愁を感じるから」
です。
なぜ自分がその街に惹きつけられるかと言えば、それはどこか自分の内側にある、近いものが呼応するからです。
以前も書きましたが、私が育ったのは、旧青線街に近いところでした。
京成立石は、そこを彷彿とさせる場所なのです。
どことなく艶めかしさがあるのです。
この、「どことなく」というのがポイントです。
表立っていなくて、隠れた感じにグッとくるのです。
「秘すれば花」ということばがありますが、美しさはあからさまなものではないのです。
廃れたもの、枯れたもの、隠れたもの。
それがワビサビです。
日本人には、それをいいと思う感覚があるのです。
誰にも意識せずとも、それが備わっています。
気づかないうちに得ているもの、それが恩恵であり文化です。
沁みついて意識できないようなもの。それこそが個性です。
それは、日本人として、誇りに思ってもいいことです。
自分たち日本人には文化がない、と思っている人もいるかもしれません。
1万年以上続いた縄文文化が、私たちの根底に流れて、そうした感覚を支えているのです。
私は絵を描きますが、美術の楽しみ方はふた通りあります。
一つは実際に作ること。
そしてもう一つは、見ることです。
見ることはインプットで、作ることはアウトプット。
見ることがベースにあるから、ものが作れるのです。
どのようなものを作るか。どのように作りたいか。
自分の感じる美しさを知る行為が、見るということです。
美術館で見るのもいいですが、今はあまり美術館に行くことはありません。
好きな作家のものは見に行きますが、見るといろいろなものが入ってくるので、
ふとそうしたものの影響が、描いている時に出てくることがありました。
それがイヤなので、本当に好きな人のものしか見なくなっていました。
美術館よりは、人の生活に直結している、生きたものが見たいです。
そうして見たものを、描くことでなしにアウトプットするのが、このカフェ体験と言えます。
絵としてアウトプットされることが、熟成されたワインならば
カフェ体験はあまり熟成が進まないうちに提供されるボジョレー・ヌーボーか
ブドウ果汁のようなものです。
日本の「ワビサビ」に相当するのが、ヨーロッパの「デカダンス」です。
退廃、ただれたもの、発酵しているもの。
虚無感を覚えるもの。
どちらにも共通しているのが、「時間の経過」です。
時間の経過は時として残酷ですが、救いでもあります。
それをおもしろがろうとするのが、ワビサビやデカダンスなのです。
私の感覚では、これこそが「美」です。
それを体験ではお伝えしたいと思っています。
日本の喫茶店には、それらが共存しています。
さらにバロックの過剰さも備わっています。
東京、そして日本には、ヨーロッパのような都市計画はありません。
それがかえって古いものと新しいものを混在させて、街を歩いたときに
ワビサビやデカダンスを感じられるようになっているのです。
喫茶店はその縮図です。
それをお伝えしない手はありません。
私の描く絵は、そう言ったものは意図していないのですが
体験では、自分が「美」と思うことをお伝えしたいと思っています。