神楽坂 近くに残る痕跡⁉東京 平将門伝説(その陸)

2020/12/8(火)

※このコラムは私の主観的な部分も含まれています。前もってご了承下さい。

東京での平将門に纏わる伝説は、色々な場所に存在する。

新宿区神楽坂や飯田橋駅(JR中央総武線・東京メトロ東西、南北、有楽町線・都営大江戸線)から近くにある、新宿区筑土八幡町も平将門に造詣があるらしい・・・・・。

筑土八幡町にある、筑土八幡神社は階段から上がった高台にある神社で、近くの街を見渡すことが出来る。

元々は、800年代前半、この付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であると言われている。

その後、江戸時代に江戸城田安門付近にあった田安明神が合流し、津久戸明神社となったのだが、その後、第二次世界大戦による戦災で全焼。明神社の方は筑土神社として千代田区九段北に移転し、八幡神社の方はこの地に残る事になった訳である。

移転した筑土神社は、元々 平将門に造詣が深く配祀している事から、移転する前の場所に残っている筑土八幡神社も繋がりが深いと一部では言われている。

都市伝説でまことしやかに囁かれているのは、元々この地には平将門の両足が埋まっていたのだが、移転した九段北の「筑土神社」に右足、ここに残った「筑土八幡神社」に左足が分けられたとの噂があるとか ないとか・・・(何を根拠に😊⁉)

よって、筑土神社に入る時は右足から、筑土八幡神社は左足から入るとより御利益が増すと言われているやら 言われていないやら・・・(やはり、何を根拠に😊⁉)。

もう一つ興味深い話として、近くの新宿区神楽坂には毘沙門天が祀られている寺院が存在するのだが、その理由として平将門の暴走を止める為、もしくは平将門と共に東京を護る為、と意味は正反対になってしまうが、都市伝説的にはとても興味深い話である(本当かよ😊⁉、こじつけ😊⁉)。

将門塚の【首】、兜神社の【兜】、鳥越神社の【両腕】、神田明神の【胴体】、筑土神社【右足】、筑土八幡神社【左足】に続き 次は何処に・・・・・・。

まだ、平将門伝説は続くのである。

私の感想/5段階

興奮度・・・・ ★★★

やみつき度・・ ★★★

満足度 ・・・・★★

恐怖感・・・・ ★★★★

(定期的に将門伝説のコラムを更新します。こうご期待‼ )➡誰も期待してないやろ😊⁉

階段を登った先に本殿が存在する。つくど(筑土・津久戸)は平将門と深い関わりが・・・・・あるのか⁉ないのか⁉

境内には公園も、ここで将門の霊を見た者は強運に恵まれるとか、恵まれないとか⁉(このコラムにかなりの無理があるやろ😊⁉)

筑土八幡町はのどかな街並みになっている。

近くには神楽坂が・・・。毘沙門天と将門の関わりは如何に⁉

飯田橋駅近くにある、素敵なステンドグラス。新宿区神楽河岸にて。

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