自分の体や心の感覚を信じること
2020/6/8(月)
だいぶ経ってしまいましたが、前回の続き的な話になります。
新しい健康法などを見つけた時、それを実際に始めるかは、
まず自分の目的に合っているか
そして、自分がその方法に納得できるかどうか、によりますよね。
ベースになる理論やエビデンス、レビュー等に目を通したりすると思います。
で、実際に始めてみて
これは合わなかった、と思うこともあると思います。
逆に、これは行けそう、と思うことも。
そこが継続するかの分かれ目ですが、
それを決めるのが、体感だと思います。
手応えは初日に来る場合もあれば、3日後に来ることもあるでしょう。
ビネガービデについて言えば、私は初日に、おそらく良くなると思ったんですね。
その時はとにかく痒みがひどかったし、それがおさまればなんでもいいという感じでした。
で、確かに沁みはしましたが、それで感覚が置き換わり
痒みが相対的に薄らいだんですね。
まあ、究極の選択というか、「痒みよりは痛みの方がマシ」といった感じです。
で、一晩ビネガーの液を膣内に蓄留すると
痒みがなくなったわけではないものの、だいぶ楽になったのを感じました。
それで、続けていく気になったのです。
まあ、他に方法がなかったから仕方なく、という部分もありました。
でも、もしかしたらこれはいける!
という期待感も、持つことができるような状態でした。
病院で薬をもらうと、「これで本当に良くなるのか」と
疑いを持つことはあまりないと思います。
そのあたりは、治験などですでにクリアされていると
信じているからです。
でも自分で方法を選択したら、あとは自分の感覚に頼るしかありません。
「病院以外の選択をする」という人は、第一に病院というものを100%信じていない人たちということです。
そして自分の感覚を信じている人たちです。
自分のセンサーが「あ、これは違う」と感じて
その情報に耳を傾けて、その後行動した経緯があるということです。
たとえ「何か違う」ような気がしても、他に選択肢がなければ
病院の指示にとどまるより仕方がありません。
私の父は肝臓病で入院した際、病室の同じ症状の人たち6人がそれぞれ違う薬を与えられ、次々に死んでいくのを見ていました。
そのため、薬を飲まずに捨てていたと言います。
結果、父だけ生きて退院できたのです。
「病院に対する不信感」「周囲に対する観察眼」「自分の感覚への信頼」
それが揃っていたことが、父の場合は活路になったと言えます。
まあ、たまたま父の場合はそれが功を奏したのであって
どなたにでも、どんな状況でも当てはまることとは言えないかもしれませんが
(つまり、病院の指示を仰いで生きながらえる場合もあるということです)
結果に対し、自分で責任を取るということですよね。
そう考えると、代替医療を選択するというのは、勇気のいることかもしれません。
例えば先々月末、私は愛猫を亡くしてしまったのですが
猫に関してはよく知らなかったので
病院の指示に従うより他になかったのです。
病院以外に活路を見出そうとする人は、病院に言われたことよりも
自分の感覚を信じているということです。
また、自分の感覚、体の声を聞く習慣があるということです。
この、自分の中の声を聞いていると、どうしてもできなくなることというものがあります。
それは自分を裏切ることです。
いま、時代は変わりつつありますが
今までは、多くの人が年長者や権威ある人の話、通説や論理を鵜呑みにしてそれに基づいて行動し、
自分の内側の声をおろそかにしてきたと思います。
自分の感覚や感情に蓋をしてきたのです。
外の話には耳を傾けても
自分の内側に耳を傾ける習慣のある人は少数派だったのではないでしょうか。
ヨガで大切にしているのも、ポーズが取れることよりは、
ある動きをしたことで自分の中にどういう変化が起きたのか気づくこと、と
私のヨガの先生からは習いました。
そうして自分の体や心に目を向けた結果、やはり病院を選択するというのは
アリだと思います。
しかし病院以外に選択肢はないかというと、そんなことはありません。
病院以外に選択肢がないと思い続けている人々に、ビネガービデのような方法は訴える力がないかもしれません。
しかし、もしそこに疑問を感じることがあったら、選択肢の一つに加えて見てください。
そして実際に、体感してみてください。
期待通り短期間で改善することはないかもしれません。
でも酢は、抗生物質のように、菌類と闘って耐性菌を生むというようなものではありません。
外用に使っても、特に副作用はありません。
闘うのではなく、共存するために必要なツールと言えましょう。
そして体感と共に生きていくと、自分の内側に広がる無限の宇宙に気づくかもしれません。