須賀敦子輪読会・旅する読書会

2023/9/30(土)

9月26日昼過ぎ、須賀敦子全集第2巻エッセイより、

「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」と「ジュノワという町」の2作品を、ZOOMを通して、音読しました。

今回のノートは、「ジュノワという町」について、めるさんの読書記録です。

作品は、「文學界」1991年8月号に掲載されたものです。

須賀さんは62歳でした。


*****めるさんの読書記録

・トリエステのサバ ジェノワのモンターレ


「ジェノワ」は須賀さんが始めて降り立ったヨーロッパの地。

1954年の夏、風のつよい日にマリア・ボットーニが出迎える。

パリへの留学の途上で、かつては、ジュノワやマルセイユで下船して、

鉄道でフランスに入ったのだと風花さんに教えてもらった。

寄港しながらの船旅に趣きを感じる。最初は20時間余りの滞在だった。


更に6年後。この地で後に夫となるペッピ-ノと初めて出会う。記録には1月2日とある。

知人の別荘に3日ほど滞在。

ダヴィデ神父や仲間たちの熱のこもった話しぶりを間近にし、心を躍らせる。

また、時期は定かではないが、ミラノに居を移してからもジェノワの友人を訪ね、作家のヴァクエルと出会う。


その後、エウジェニオ・モンターレの詩の中で、ジェノワに再会。

『詩ぜんたいのもつ性急なリズムが、風に逆らって坂を降りてくるアルセニアの不安を象徴するよう』。

「イタリアの詩人たち」に紹介されているモンターレの最初の詩は、

眩しい太陽に照らされた地中海に面する港町へ読む人を自然と誘う。

そういえば、つよい風に逆らって坂を降りたのはトリエステのサバも同じ。

いずれもその詩の中では人生のかなしみが美しく語られている。


さいごにアントニオ・タブッキの「うっすらとした水平線」が登場。

実際に作者に会ったおりに、作品の舞台をジェノワと当てて驚かす。

あとから、作中にモンターレの詩の語彙がばらまかれていたことを須賀さん自身が知ってまた驚く。


日本ではこの土地をジェノヴァとよぶが、あえて須賀さんは温かなたくさんの記憶に満ちたこの土地を、

やさしくジェノワとよんでいる。


2023年9月26日





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