須賀敦子輪読会記録 エッセイ/1957~1992 「イタリア語と私」
2023/8/13(日)
こんにちは、風花です。
須賀敦子の作品を声に出して読んでみませんかも第86回となりました。
先週火曜日には、第2巻のエッセイの中から
「イタリア語と私」を読みました。
ZOOMでの音読やおしゃべり、考察で終える時もありますが
なるべく読書記録を残そうと努めています。
いつか、冊子にしたり、「須賀敦子研究室」的なものをネット上に公開できたらと思っていますが・・
今回は、読書会メンバーのめるさんの記録を投稿させていただきます。
いつも言っています。
気負わずできる範囲で、その時感じたことを残しましょうね・・と。
*****めるさんの記録
エッセイ/1957~1992 「イタリア語と私」 2023/08/11
★★「イタリア語と私」と、わたし
このところ本当に毎日暑い。
世界的にも災害級の暑さだと言うが、そんな日の昼下がりに冷房の効いた部屋で
静かに風花さんと読書会をすることをとても贅沢に感じた。
今日は須賀さんの短いエッセイを輪読。
須賀さんが45歳の折に「翻訳」という専門誌に発表されたもの。
イタリア語と出会い、その言葉を深く愛すること。
それは須賀さんの人生にとって必然であったことが、
ほんの短いエッセイのうちに瑞々しく語られている。
風花さんがこの作品は他のものと比べとても明るい印象を持ったとのこと、私も同感であった。
須賀さんにとって、身についたウンブリアなまりや、ペッピ-ノと語らう日々が、
何にも替えることができない大切なものであったことが、
明るい生命力のような強さを持って伝わってくる。
このエッセイは最後にこう結ばれている。
『イタリアを日本の人たちに説明する仕事に、私は、いつか没頭することになるだろうか。
シロ-ネから出発した、「全人間」を求めての、イタリアの、そして私の半生の旅を、
日本の人たちにどうしてもわかってもらいたいと思う日が、いつかやってくるのだろうか。』
須賀さんの「ミラノ 霧の風景」を初めて読み衝撃を受けたあの日から、
わたし自身のイタリアへの旅は始まった。
作品に頻出するイタリア語を自分なりに調べるうちに、
一念発起してイタリア語教室の戸を叩くことを決めた。
あれから一年余り。もうすぐ還暦を迎えるポンコツな頭を叩きながら
どうにか教室通いを続けていられるのも、須賀さんのおかげ。
須賀さんが本格的に執筆活動を始めたのは60歳を過ぎてからであったが、
短い作家生活のうちに多くの素晴らしい、
「日本人がイタリアを愛する装置」を仕込んだ作品を遺されたのだ。
そんな作品たちに触発されて、
わたしもこれからもずっとイタリアを愛し続けるのだと思う。
*****終り