「ある家族の会話」輪読
2023/4/17(月)
4月14日は、162頁から181頁まで、輪読しました。
物語の核心部分に入りました。
音読を聴くことにより理解が深まるを実感しています。
めるさんは、この作品があっているようです。
とても聞きやすく上手です。
娘時代のナタリアには、3人の友人がいたと書かれている。
ナタリアの家族は、その友人たちのことを「きゃっきゃたち」と呼んでいた。
名づけたのはナタリアのお母さん。
「きゃっきゃたち」はイタリア語の原文ででは
どう表現されているのだろうと話し、イタリア語を習い始めためるさんに
原文を調べてもらうことにしました。
須賀さんの訳文は、すばらしい日本語なので
時々、原文を知りたくなります。
私は、まったく外国語はわからないのですが・・・
ということで、今回、ゲストのめるさんが
調べてくれましたので
以下に書いておくことにいたしました。
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ナタリアギ・ギンズブルグ「ある家族の会話」163-180 appunto
「きゃっきゃたち」
今日は、主にナタリアの結婚と3人のユダヤ人の友について語られた箇所だった。
ところどころ、須賀さんの境遇と重なる箇所を見つけては風花さんと感心しあった。
簡単に言えば、良い育ちであるということ。
須賀さんの小説の沼にはまり、もっと理解したいと始めたイタリア語。
挫折しそうになりながらも良いお仲間に恵まれてどうにか一年が過ぎた。
(未だに入門のあたりなのだが)
「きゃっきゃたち」は
3人の女友達についてナタリアの母リディアがつくったことば。
おしゃべりをイタリア語では「chiacchiera(キアッキエラ)」と習ったのを思い出した。
初めてこの言葉に出会ったとき、
先生の発音が「きゃっきゃ」と聞こえて思わず笑ってしまった記憶がある。
女3人かしましいと言うし、
原書ではきっとこの辺りの言葉が使われているに違いないと探してみたところ、
全然違っていた。
原書では「きゃっきゃたち」は「le squinzie」と記されている。
辞書をあたってみたが、これはリディアの造語なのでズバリのものは出てこず。
副詞の「squindi」が近いけれど、意味は気どっているみたいなふうをさすらしい。
文中でもおすましな女の子の総称とあるので、このことばから作られたのかもしれない。
今日読んだ箇所は作品の後半にあたる。
終始、ユーモアのある家族のことばに助けられているとはいえ、
前半に比べ、ファシズムの嵐が日ごとに強くなり暗雲が立ち込める感がぬぐえなかった。
ーめるさんの記録ー