お花見が苦手

2022/3/29(火)

こんにちは!

カウンセラーリコラです。


桜の便りが目に届く季節となりました🌸

春分の日も過ぎて、日も長くなり、肌で感じる自然の躍動感に促されるように、桜の木の下で集うお花見の文化は素晴らしいなと感じます🍙🍶🍺🍡

その一方で、わたくしは、子どもの頃からずっと、桜の木の下で大勢の人が飲食をして楽しそうに過ごしている雰囲気が苦手でした。


子どもの頃の漠然としたこの感覚は、お花見の雰囲気が苦手であるにもかかわらず、桜の花が咲く季節さえ、気持ちの乗らない季節と解釈するようになってしまった時期が長く続きました。

今にして思えば、大勢の中でわいわい過ごす自分より、少人数で静かに語ることが得意で居心地が良いというだけのことなのです。

しかし、周囲に合わせた価値観でないと、自分が浮いてしまうとか、変わっていると思われのが嫌で、無理に取り繕ってみたり、本当の自分を表現することをためらってしまうということを、このノートをお読み下さっているみなさまの中にも同じようにご経験なさった方もおいでかもしれません。


一体、なぜ、自分を偽ってまで周囲に合わせてしまうのでしょうか?

その理由の一つには、日本ならではの社会的な価値観があるように思います。

私たちは日常生活の中で、「おかげ様で」という言葉を使うシーンがあります。また、先方に失礼のない手土産を用意しているにもかかわらず「つまらないものですが」と言葉を添えることもあります。

本音と建前の中で生活する習慣があるので、自分の気持ちや感じたものをそのまま表現することを躊躇することもあるのではないでしょうか。


「お花見が苦手です」と言ってしまえば、「変わり者だね!」と言われる反応が怖くて、自分を偽って生きてしまう・・・するとお付き合いでお花見に行くことがとても苦痛になる、同席した人は悪い人ではないけれど、この苦痛とともに良い印象を持てなくなる、毎年桜の花が咲くと憂鬱になる、といった負のスパイラルに陥っていきます。

このようなストレスをいつまでも抱えていると、人生の質までも影響を及ぼしかねません。


わたくしはある時から、受け入れられるもの、と受け入れられないものを区別することにして自分を守るようにいたしました。

「大勢の人の中にいるのが苦手なので」と潔く告白すれば、自分に合いそうなお誘いだけがやってくるようになり、ストレスから解放されます。

その結果ご縁がなくなっても、それはそれでよいと思えるようにもなりました。このような作業を重ねて、やがて、賑やかなお花見は好きではないけれど、桜の花が咲くときれいだなと思える感性を取り戻すことも出来ました。


感情を整理することは、自分自身に自分の気持ちを説明することでもあります。自分の気持ちを理解することが出来れば、自ずと周囲の人の考えや価値観も理解する余裕が生まれてきます。

自分自身を抑圧してしまうと、自分と仲良くできません。


自分と仲良くすることが困難な状態で、周囲とうまくやっていかなければならないことは、とてもしんどくて苦痛なことと感じております。

安心安全な場所において気持ちを放す(話す)こと、感情と向き合う作業、自分の課題を見つけることによって、見えてくるココロの景色が変わる可能性は、十分にあると思います!


最後までお読み下さりありがとうございました。

リコラ





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