佐藤仁美さん&宮崎美子さん出演映画を自主上映会!?
2021/8/8(日)
以前から実施したいと思っていた自主上映会
それは、生まれ故郷の山形にいた頃から始まった。
もう10年以上前の2012年秋に行われた山形市で上映された
「ふるさとがえり」
映画『ふるさとがえり』とは?
その昔... 亀を助けた少年たちが、ふるさとの平和を守るという、おかしな伝説。
そして始まる、その少年たちと、大人になってしまった私達の物語。
上映会が行われることをfacebookで知り、参加。
そして、その映画の世界に魅了された。
上映会後の懇親会に参加させて頂き
上映会の主催者の山形市役所職員の後藤さん
また、この映画の制作側のスタッフの方々と知り合い
ぜひ、山形市に隣接知る我が地元の寒河江市でも
上映会をしたいと申し出た。
何人かの方々と少し話を始めたが
残念ながら、その願いを実行する事は出来ずに
「ふるさとを出る」事になったのは、皮肉な巡り合わせだった。
それは、我が母が病気で倒れ、生死をさ迷い
奇跡的に息を吹き返し、リハビリするには
我が一人ではどうする事も出来ず・・・。
当時、静岡県沼津市に住まいする姉夫婦の元に
移住して、看護師の姉と共に介護するための
苦渋の決断でした。
今となってはこれが良い結果を生むことになり
巡り合わせとは、そんなもんだと思ったのは
後になってからの事。
なお、生まれ故郷の寒河江市では
我が意思を継いでくださった仲間たちにより
その後無事に「ふるさとがえり上映会in寒河江」が
開催された事を、後になって知りました。
この投稿は、今でもお付き合いのある
寒河江市議の後藤さんの投稿
沼津市に移住してからは
母の介護と生活で目一杯な日々でした。
早朝5時から14時までの工場での仕事。
それから帰宅し、当初は母が入院するリハビリ病院へ
また、食事は姉宅で。
母の病状も驚くほどの、奇跡的な復活後は
姉宅での生活がスタートし、日中はディサービスに行く母。
ディサービス後に送ってもらう母の帰りを
仕事明けに姉宅で待ち、僕の介護の時間。
山形時代にホームヘルパー二級の資格を取得し
1年間特別養護老人ホームでの実務があるため
トイレ介助等々お手の物でしたし。
そんな生活が約1年。
突然の終わりを告げました。
春の日に母は旅立ちました。
それまでは、脳梗塞の後遺症から
僕の事もどれだけ解っているのか?
そんな状態だったものの・・・。
前日の夜に、姉宅を出ようとした時に
母はこう言いました。
「車に気を付けてね」
きっと、あの時の言葉は旅立ち前の
言葉だったのだろうと、今でも思います。
僕が喪主にて
近親者だけで葬儀を執り行い・・
安住の地、墓地を購入して
数年前に他界した父と共に納骨し・・・。
気持ちの整理もついたが
空白感? 空虚? が襲ってきて
しばらくは、何もしたくない
そんな日々を過ごしていました。
そんなある日
しばらく振りにfacebook?だったろうか
メールだったろうか?
開いた時に、メッセージが舞い込んでいた。
それが、あの山形時代に知り合った
映画ふるさとがえりのスタッフのひとりだった。
彼からの内容は
今度、静岡県三島市を舞台にした映画を創る
プロジェクトが有り、台本の関する打ち合わせがあります。
良かったら、参加してみない?
大筋ではこんな感じでした。
母が他界し、生活のための仕事以外に
特に何する事もなく・・・。
また、その時なんとなく惹かれるものを感じて
「参加してみます」と返信した。
そんなきっかけで参加したしたのが
三島市を舞台にして映画を創り、街おこしをしようと言う
プロジェクト:みしまびとプロジェクトとの出逢いであり
のちに、僕自身も初めて映画に出演する事になるとは
その時は知る由もなかった。
つづく・・・