ベトナム戦争で使用された枯葉剤のエージェント・オレンジの影響について

2020/12/3(木)

Xin Chao・シンチャオ・こんにちは!

今回は12月6日に第一回目となるホーチミンの戦争証跡博物館とグエン・ドク氏との交流オンラインツアーについての

事前学習となる内容をお伝えできればと思います。


皆様はベトナム戦争といえば、何が思い浮かぶでしょうか。

ソンミ村虐殺事件、B52、枯葉剤、エージェント・オレンジ、ホルマリン漬け、アメリカ・ロシアのための代理戦争など思い浮かびましたか?


今回は終戦45年経ったいまでもベトナム全土の新生児に影響を与え続けいる枯葉剤の1つ「エージェント・オレンジ」についてご紹介します。

この枯葉剤の被害者で一番有名なのは結合双生児として生まれ、日本医師団による20世紀最大の手術が行われ日本人と結びつきが強い

ベトちゃんドクちゃんで知られる「グエン・ドク」さんです。

ドクさんの母親は戦時中アメリカ軍により多くの被害を受けたベトナム中部のコントム省で暮らしており、

1981年2月25日に枯葉剤の影響を受けて結合双生児として生まれました。




枯葉剤は、ベトナム戦争時、量産され、化学兵器として軍事利用され枯葉剤は数種あり、それぞれが入った容器の色の名前が付けられ、

オレンジ剤、ホワイト剤、ブルー剤などがあり、最も多く使われたのはオレンジ剤で、Agent Orange(エージェント・オレンジ)と総称されるようになった。

オレンジ・ホワイトは植物の成長や代謝を阻害し、 ブルーは脱水を促進する猛毒だったが、人間には人体実験ができず、害がわからないとされていたが、実は動物実験で催奇性は確認されていた。

アメリカ軍は、この戦争で再度「原爆」の使用を検討していました。

なんとダナン基地には核兵器があったとされています。



ところが、北ベトナムを支援するソ連の核兵器での報復、使用後の二次的被害(代理戦争のために、米国人が多数死ぬこと)や、

使用後の戦場における影響(その後の作戦が遂行しにくくなること)、 世界中で起きたベトナム戦争への 大規模な反対運動により、

米国は世界からの孤立を恐れ原爆を使わなかったと言われています。



ベトナム戦争中の1962~1971年にアメリカ軍は、戦地での病気を招く害虫の駆除、という建前で上空から枯葉剤の散布する「ランチハンド作戦」を開始しました。

しかし、実際には、ベトコンが潜む森林、食物を育てる土地、物資の補充 ルート等、活動を支えるすべての場所を破壊するのが目的であり、

ダイオキシンなどを含むエージェントオレンジが大量に散布され、核兵器を使わなくてもこれで十分、と言われる恐ろしい作戦でした。



オンラインツアーでは実際に枯葉剤の被害者のグエン・ドクさんとのチャットによる交流会があり、

今までの苦労や現在の状況など直接質問できる時間を設けております。



通常のオンラインツアーよりもアカデミックな内容となっておりますので、ぜひツアーにご参加ください。

この記事を書いたユーザー

不適切な内容を報告する