恐怖の首塚?東京 平将門伝説(その壱)

2020/8/18(火)

※このコラムは私の主観的な部分も含まれています。前もってご了承下さい。

東京と言えば平将門、平将門と言えば東京、この関係性は切っても切り離せないくらいオカルトの間で有名な話である。

そもそも平将門と言えば、東国の貧しい民の為に天皇に反旗を翻した武将(諸説あり)であり、また英雄とも言われ、更には怨霊や祟りのシンボル、都内に平将門にまつわる神社仏閣が多数存在する事から「東京の守護神」として崇められている。

このコラムでは何回かに分けて平将門にまつわる場所にスポットを当て、感想を述べたいと思う。

平将門は主に今の茨城県、千葉県に勢力を伸ばした武将であり、やがては関東一円を手中に治めた。後に将門の乱により敵の流れ矢に当たり討死し、その首は平安京へ運ばれ、晒し首となった。しかし、その首は身体を求め関東を目指し飛び立ち、今の千代田区大手門で力尽きたと言われている。首だけではなく胴や手・足なども東京の地に埋まっていると言う伝説が残っている。

1600年徳川家康が江戸幕府を開いた時も平将門にゆかりのある神社仏閣は手厚く保護している。これは関東で、庶民が平将門に対し畏敬の念を持っていたからとも言われている。

今回は平将門の首が祀られている、東京駅・大手門駅から近くにある将門塚(まさかどづか、しょうもんづか)の感想を述べたいと思う。

高層ビルが立ち並ぶオフィス街にひっそり佇むその姿は独特な緊張感とオフィス街に似合わない違和感を感じてしまう。それもそのはずで、関東大震災後に都市再開発(復興計画)として大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大蔵大臣の相次ぐ不審死が起こったことで、将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した歴史があり、更には、第二次世界大戦後に戦災復興都市計画として、GHQが丸の内・大手町周辺の区画整理にとって障害となるこの地を撤去・造成しようとした時、不審な事故が相次いだため、計画を取り止めた経緯もある。そういった事から、大手町周辺が高層ビル街へと発展後も、首塚はバブル景気後も残る事となり、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示しているのである。

私がお参りした時、何故か背筋がピンと伸びて、清々しい気持ち(お前は引退会見の貴乃花か?😊)になったのである。

将門塚・・・少し怖いが行ってみたら如何でしょうか?

(定期的に将門伝説のコラムを更新しますので、こうご期待‼ 次回は日本橋兜町の兜神社のコラムを・・・・・)


私の感想/5段階

興奮度・・・・ ★★★★★

やみつき度・・ ★★★

満足度 ・・・・★★

恐怖感・・・・ ★★★★★


将門塚がある東京駅・大手門駅周辺はこんな場所です 的な動画➡https://youtu.be/DYI4wTbPeT4


オフィス街にひっそり佇む将門塚・・・。噂によると皇居とワンセットで行かない方が良いとの事(将門の乱で、天皇に反旗を翻した為か?)。

境内にはカエルの置物が多く存在する。これは将門の首が京都から飛んで帰ったことから、必ず「帰る(カエル)」にひっかけ、左遷に遭った会社員が、元の会社に無事に戻ってこられるように、あるいは誘拐されたり行方不明になった子供が、無事帰ってこられるように、または旅行から無事に帰還するようにといった願いをかけて供えられたものである。

東京駅・大手門駅周辺は高層ビルが立ち並ぶ日本屈指のオフィス街である。

どれだけ再開発されても将門塚の移動は簡単には出来ないのである。

東京がこれだけ世界有数の都市に発展したのは、徳川家康のおかげだけではなく、平将門が東京の守護神として東京の街を見守っているからかも知れない。

この記事を書いたユーザー

不適切な内容を報告する