幸せと多幸感
2022/1/23(日)
こんにちは!
カウンセラーリコラです。
先日、まゆまゆさんの体験に参加させて頂きました(*^^*)
本日は、この体験を通して感じたことをnoteに書いてみたいと思います💛
日常的に幸せだなぁと感じる瞬間はどんな時でしょうか?
お風呂に入って味わう「ほっとした感じ」や好きな香りに「癒される」瞬間や、美しい景色に出会ったときに感じる「心が躍るような感じ」、自分のご褒美に買ったスイーツを「美味しい!」と思ったり、寒い朝に愛猫が布団に入ってきてくれた時の温かさや、のどをゴロゴロ鳴らす音とともに、二度寝する・・・これは猫好きならば「至福の時」だと思います😻
幸せには有形無形、感じ方は人それぞれであり、優劣があるわけでもなく、その人の心を癒して満たしてくれるもの、とわたくしは考えます。
そして幸せのカタチや価値は時代とともに変化する一面もあるように感じます。
過去において一方的に受け取るだけであった情報は、今やだれもが発信することの出来るツールとなりました。
見ず知らずの人とも共通の趣味や仕事を通してつながることの出来る便利な時代になりましたが、この「便利な時代」の副産物として、他者から容易く「評価」を得られるようになりました。
SNSで繋がっている人の数、「いいね」の数、閲覧数、などなど、そこに自分の存在価値を反映してしまうと、その数や結果によって自分の「幸・不幸」が決まってしまいがちです。
結果的に本来やりたかったことよりも、世間受けするものを優先したり、人から羨ましいと思われる何かを求めて、ふわふわとした実態のない「世間様」に振り回されてしまいます。
他者の価値基準ありきの幸せは終わりがありません。
例えば一日で100の「いいね」が付いたとしたら、翌日に50の「いいね」だったら満たされた気分ではないでしょう。翌日になんとか工夫をして100の「いいね」が付いたとしても、もう満足は出来ません。常にもっと欲しくなるし、少なかったらどうしよう💦と不安になるのです。
この構造は依存症の構造ととてもよく似ています。
最初に受け取った「刺激」が忘れられずにさらにもっと強力でインパクトのある刺激が欲しくなるのです。
脳の中でも一番強力な部分がこの「刺激」を学習すると、理性を司る部分も勝てないのです。ですから刺激を覚えてしまうと、元に戻すのはとても大変な作業となります。
このような状況に生じる感覚を「多幸感」と言います。
多幸感は言い換えれば「報酬」です。
幸せと多幸感という一見同じように思える言葉ですが、幸せは「自らが五感で感じ取り心地の良い状態」であります。
そこには、人からの評価や判断や条件は一存在せず、とても純粋な気持ちの流れです。
報酬を欲しがることもありません。
この純粋さがまゆまゆさんのスリランカの体験の中にギュッと詰まっているように感じました!
報酬という評価が欲しいがために行動の選択をするようになると、他者に依存することにもなります。
わたくし自身、行き詰ったときに自らに「今、自分が欲しいのは幸せなのか?報酬なのか?」と問いかけることにより、自ずと答えが導き出せるのではないか?と考えることが出来ました。
訪れたことのないスリランカの体験をお聞かせ下さったまゆまゆさんに感謝申し上げます。
この体験にご一緒して下さったゲストのみなさまとの感想のシェアは「セレンディピティ」そのものでした。
ありがとうございました。